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「手塚治虫アキバ化」プロジェクト  アトムやリボンの棋士が気持ち悪い萌え絵に・・・

1 名前: トドック(埼玉県) 投稿日:2010/11/10(水) 23:31:02.06 ID:id55GcF6P
新宿マルイワンで11月22日まで開催中の展覧会「osamu moet moso」にて、
垣野内成美と村田蓮爾がサイン会を行う。垣野内は11月14日、村田は11月21日の開催となる。

サイン会参加整理券の入手方法は会場内で3000円以上商品を購入することで、垣野内の整理券は既に配布中。
村田の整理券は、11月15日から21日正午まで配布する。どちらも配布枚数は先着100枚で、期間内でも定員に達し次第配布は終了。

「osamu moet moso」は、「手塚治虫アキバ化」をコンセプトにしたプロジェクト。
アキバ系や萌えの描き手が集い、各々の想像力を駆使して手塚ワールドをアキバ系作品に再構築する。
文倉十、いとうのいぢ、岡崎武士、垣野内成美、KEI、高田明美、POP、美樹本晴彦、村田蓮爾、吉崎観音など
豪華メンバーが参加作家に名を連ね、今後も様々なクリエイターが順次参戦する予定だ。

http://natalie.mu/comic/news/40372

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手塚治虫がまだ生きてたら萌え漫画とか海賊漫画とか不良漫画とか書き始めてたのかな?

1 : 実業家(アラバマ州) 投稿日:2010/09/26(日) 14:32:49.84 ID:FnJ64KK4P
http://www.yomiuri.co.jp/book/comic/manga/20100924-OYT8T00390.htm?from=yoltop
 手塚治虫とは、果たして「何」であったのか。コミックマーケット(コミケ)の生みの親で評論家だった故・米沢嘉博氏は、
その著書「戦後SFマンガ史」の中で「増殖していくマンガとは、増殖していく手塚治虫だった」と表現した。
これは極めて的確な評といえよう。「増殖する手塚治虫」こそ、戦後マンガの大道であった。

もちろん、手塚と並んで戦後マンガを作り上げてきた作家たちも多い。たとえば「イガグリくん」の福井英一、戦前から活躍していた「のらくろ」の田河水泡など、
手塚とは違うベクトルで戦後マンガに影響を与えた作家もいる。福井は、この「姿三四郎」的柔道マンガで、手塚と並ぶ人気を博した。

 しかし、「赤胴鈴之助」の連載開始直後、過労のため急死する。さまざまなテーマでマンガを描いてきた手塚が、「不得意」としたのが、
「イガグリくん」のようなスポーツマンガであり、「赤胴鈴之助」のようなチャンバラマンガであった。
福井は、その意味でも手塚とは一線を画した作家であったともいえよう。

 一方の田河は、マンガの実作者としては戦前に活躍した一人であり、作品自体の戦後マンガへの影響は少ない。
だが、彼の弟子の存在が、日本の戦後マンガに影響を与えたということはいえそうだ。
「サザエさん」の長谷川町子や「あんみつ姫」の倉金章介、個性的な画風の杉浦茂に滝田ゆう、
山根青鬼・山根赤鬼など弟子たちの顔ぶれは多彩である。
また、弟子というわけではないが、田河は晩年に、「キャンディ・キャンディ」のいがらしゆみこと交流があったことも知られている。
 田河の弟子たちの作風は、一言で表現するなら「ほのぼの系」といえようか。
手塚やその後継者たちが、ストーリー重視の方向に収斂(しゅうれん)していく中で、
かつての「マンガ」の水流の継承に主眼を置いていたのが、彼らであったといえるかもしれない。

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