ヘッドライン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本で騎兵という独立した兵種が生まれなかったのはどうして何故なの?

1 : 警察官(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 01:27:58.66 ID:OuwH/BpBP
木曽駒ケ岳へ向かう上松町の登山道沿い、標高約900メートルの山間部に、農業を営む丸山敬一さん(78)の家はある。
築100年以上という丸山さん宅には、木曽馬が人と一つ屋根の下で暮らしている。かつてはどの家でも飼われていたというが、今は丸山さん宅を含めて3軒だけになった。

「(損得勘定で飼育する)経済動物じゃなくなった。だが、誰かが飼わなきゃ絶えてしまうで」

木曽馬の起源は、2~3世紀に朝鮮半島を南下したモンゴルの草原馬にさかのぼるとされている。
木曽地方ではかつて、貴重な働き手、収入源として大切に守り育てられた。
飼育場所が、家の中で日当たりが一番良い南向きの西側とされたことからも、それはうかがえる。
体高約130センチと小さく、気質は温厚。女性や子供にも優しい。体は普通の馬よりずんぐりと愛嬌があり、短い脚を上手に使って、急峻な地形を移動する。

戦時中、木曽馬は戦いに不向きなその性格と体格があだになり、軍部から「騎兵のための軍馬として不適格」と烙印(らくいん)を押された。
さらに追い打ちをかけたのが、1939(昭和14)年の種馬統制法だ。軍馬の繁殖を強化する一方で、木曽馬の繁殖は禁止され、雄が次々と去勢されていった。

終戦後は種馬がいなくなり、絶滅が避けられないと思われた。ところが、更埴市(現千曲市)の武水別神社に、
去勢を免れた雄馬が1頭、奇跡的にかくまわれていた。この「神明(しんめい)号」から、戦後の木曽馬の歴史のすべてが始まったと言っていい。

木曽地方の人々と1500年もの歴史をともに歩んできたとされる伝統種、木曽馬。
だが近年、最後の雄1頭の遺伝子による度重なる近親交配の弊害が懸念され、種の保存活動が始まった。
一方、農耕馬として「存在意義は終わった」との声もあり、新たな役割作りに試行錯誤が続く。

http://mainichi.jp/area/nagano/news/20100817ddlk20040066000c.html

続きを読む »