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日本で騎兵という独立した兵種が生まれなかったのはどうして何故なの?

1 : 警察官(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 01:27:58.66 ID:OuwH/BpBP
木曽駒ケ岳へ向かう上松町の登山道沿い、標高約900メートルの山間部に、農業を営む丸山敬一さん(78)の家はある。
築100年以上という丸山さん宅には、木曽馬が人と一つ屋根の下で暮らしている。かつてはどの家でも飼われていたというが、今は丸山さん宅を含めて3軒だけになった。

「(損得勘定で飼育する)経済動物じゃなくなった。だが、誰かが飼わなきゃ絶えてしまうで」

木曽馬の起源は、2~3世紀に朝鮮半島を南下したモンゴルの草原馬にさかのぼるとされている。
木曽地方ではかつて、貴重な働き手、収入源として大切に守り育てられた。
飼育場所が、家の中で日当たりが一番良い南向きの西側とされたことからも、それはうかがえる。
体高約130センチと小さく、気質は温厚。女性や子供にも優しい。体は普通の馬よりずんぐりと愛嬌があり、短い脚を上手に使って、急峻な地形を移動する。

戦時中、木曽馬は戦いに不向きなその性格と体格があだになり、軍部から「騎兵のための軍馬として不適格」と烙印(らくいん)を押された。
さらに追い打ちをかけたのが、1939(昭和14)年の種馬統制法だ。軍馬の繁殖を強化する一方で、木曽馬の繁殖は禁止され、雄が次々と去勢されていった。

終戦後は種馬がいなくなり、絶滅が避けられないと思われた。ところが、更埴市(現千曲市)の武水別神社に、
去勢を免れた雄馬が1頭、奇跡的にかくまわれていた。この「神明(しんめい)号」から、戦後の木曽馬の歴史のすべてが始まったと言っていい。

木曽地方の人々と1500年もの歴史をともに歩んできたとされる伝統種、木曽馬。
だが近年、最後の雄1頭の遺伝子による度重なる近親交配の弊害が懸念され、種の保存活動が始まった。
一方、農耕馬として「存在意義は終わった」との声もあり、新たな役割作りに試行錯誤が続く。

http://mainichi.jp/area/nagano/news/20100817ddlk20040066000c.html

2 : マッサージ師(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 01:28:55.60 ID:dcK1nljq0
平地が少なく山が多いから

91 : 三角関係(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:14:18.59 ID:PZrMn3jL0
>>2
山猿と言われた武田軍が騎馬隊の代名詞みたいに言われるのはなぜ

101 : 臨床検査技師(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:28:31.67 ID:JH5rH/aHO
>>91
甲斐や信濃には古代から大きな牧が置かれていたため、かな?

5 : 演出家(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 01:30:05.00 ID:JHZZyELaP
単に戦術思想の程度が低かっただけだろ。使い道が思いつかない→じゃイラネって

8 : 演出家(宮崎県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:34:01.29 ID:6wMQEitiP
>>5
使い道教えてください

44 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:19:21.23 ID:bIqnhK4e0
>>8
・重装歩兵の側面を守る
・歩兵が正面を攻撃し騎兵で側面や背後を攻撃し包囲殲滅
・弓騎兵が攻撃→退却の繰り返し→追ってきた敵を包囲殲滅
・散兵を軽騎兵で駆除
・重騎兵の突撃で敵の戦線崩壊
・騎兵が少数ずつ次々にヒットアンドアウェイで突撃と離脱を繰り返し敵歩兵の足を止めそこに大砲打ち込む
・大砲や歩兵の射撃で敵の前線を崩す→騎兵の突撃で敵を分断

9 : 翻訳家(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:36:19.10 ID:WzNaph6M0
騎兵は偵察と追撃戦が主だからなぁ

10 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:39:15.70 ID:7OSJ1+sEP
地形が理由なの?
アレクを輩出したギリシャは日本以上に山がちな地形だけど

12 : 仲居(三重県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:44:25.79 ID:nN77Wf2Y0
>>10
アレク出身のマケドニアはそうでもない
騎馬民族のスキタイと北方で接しているということもあってギリシャの中では例外的に馬が重視されていた地域
逆にアテネやスパルタでは重装歩兵が主体だったし

20 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:50:10.77 ID:7OSJ1+sEP
>>12
じゃあなんで師で親でもあるフィリッポスがギリシャで覇権握れたの?
まあ重装歩兵も山がちな地形じゃアレだと思うけど

29 : 仲居(三重県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:59:59.44 ID:nN77Wf2Y0
>>20
ほぼ騎兵のみだったマケドニア軍にギリシャ式重装歩兵を職業軍人として導入し、
その槍を他ポリス軍よりも長くしたから。もちろん騎兵歩兵の混合軍である強みを活かした勝利もある
まぁそのころの諸ポリスが内戦で弱体化していたというのが実は一番の原因だけど

157 : 芸人(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 07:04:14.84 ID:i8mAha4t0
>>20
他のギリシャ諸族があまりにも弱体だったからだよ
アテナイ、スパルタ、アルガス、コリントス辺りでも最大動員力が1万超えない
>>44
・戦国大名の軍隊は命令伝達の徹底と柔軟性に富んでいたから側面を騎兵で援護する必要性は無し
・包囲殲滅なんてのは戦慣れしてない文明人か未開の野蛮人にしか通用しない
・合成弓は湿気が多いと痛みが速い、甲冑は短弓のへろい矢じゃ貫通しない
・そもそも散兵するわけがないw
・数からいってその前に重騎兵が全滅だなw
・一ヵ所に留まってくれるようなゲーム脳の持ち主相手なら有効だろうねw
・大砲が極少数しかなかったうえ日本の地形じゃ野戦に使うのは運搬が困難

161 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 07:27:13.87 ID:bIqnhK4e0
>>157
・包囲殲滅戦に関してはカンエナの戦いが近代の陸軍士官学校の教科書にお手本として載ってるくらい近代でもメジャーな戦術
 戦国時代に武田が良く使ってた鶴翼の陣も包囲殲滅のための陣形
 日露戦争の奉天会戦なんかでも包囲殲滅戦が行われてる
・弓が効かないほどの全身鎧買える奴なんて一部。弓が効かないなら置き盾なんてものが存在したのはおかしい
・散兵とは歩兵に付随する弓兵や投石兵や銃兵のこと。バラバラになった兵のことではない
・スイスのハルベルトで武装した歩兵はスウェーデン重騎兵の突撃に負け、ハルベルトではなくパイクを使うようになった
・これはフランスがスイスの突進してくるファランクスに対して実際にやった戦術
 ファランクスは側面や背後からの攻撃に弱いので足を止めハリネズミの陣という対騎兵陣形に移行する
 そこに大砲を打ち込みフランスは勝利した
・マスケット銃でも出来る

164 : 芸人(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 08:02:35.01 ID:i8mAha4t0
>>161
・カンネで凹られたのは、まだ戦闘意欲と戦慣れしか取り柄のない野蛮で未開なローマ人
・支給の具足でも相当程度の防護性はあった
・散兵とは射撃力を最大限に発揮するために射撃兵科が薄っぺらく散開して布陣すること
・スペイン国王&フランス国王お墨付きの格好だけ立派な役立たずことスイス兵がへぼかっただけなw
・ファランクスそのものが程度の低い軍隊(六国やマケドニア)が使用する戦闘規定、練度や士気の高い軍隊(秦やローマ)は用いない
・結局は騎兵の突撃力が足りなければ分断なんざ不可能

173 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 08:45:18.43 ID:bIqnhK4e0
>>164
・カンナエの160年後のアドリアノープルの戦いでもゲルマン人相手にローマは包囲殲滅されて負けてる
・戦場における弓矢による死傷者数は鎌倉時代から戦国時代までずっと上位だった
 そもそも矢が全く効かないなら弓兵なんてものは存在しない
・その射撃兵科を軽騎兵が狙った。足が遅い歩兵や重騎兵では散兵が歩兵の影に逃げられるので軽騎兵である必要があった
・スイスは大国神聖ローマ帝国との戦争に勝利して独立を勝ち取り
 最盛期を誇ってたブルゴーニュ公国のシャルル突進公もスイスに負けて死んだ
 シュヴァーベン戦争では600人のスイスの歩兵が神聖ローマ帝国の1000人の騎兵を撃退した
 スイス傭兵はフランス以外にも神聖ローマやイタリア諸州、ローマ教皇領やスウェーデン等引く手数多だった
 16世紀猛威を振るったスペイン方陣もスイス傭兵のファランクスを発展させたもの
 スイス傭兵がヘボいならフランスが「金の延べ板にしてパリからバーゼルまでの道路を覆い尽くしてしまう」程の賃金を払うのはおかしい
・古代のファランクスは精鋭中の精鋭。士気や錬度も高い
 ローマがファランクス使わなくなったのは山間の部族との戦いでファランクスは隊列が乱れ苦戦したから
 そしてそれをマケドニアのファランクス相手に仕掛け大勝しファランクスは戦場で淘汰された
 15世紀頃にファランクスは騎兵戦術の発展やスイス傭兵の活躍により復活した
・だから突撃力を上げるために銃兵や砲兵が援護した。そして突撃力が勝れば敵の隊列は分断されて大混乱に陥る

14 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:46:24.85 ID:o6UvagjJ0
地形よりコストだろ。
戦時には有用だから使っても、平時にはやたらと維持費が高いし、いざというときのことがあるから農耕馬として併用も出来ない。
大陸の、周囲にいつ攻め込んでくるかわからん異民族だらけなとこならいざ知らず、
大体同じ言語で同じような文化で民族的にも同じな連中で戦争してる分には、
糞高い騎兵そろえるより、やっすい歩兵でいいじゃんとなるんでねーの。

17 : げつようび(山形県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:48:11.90 ID:KUkGOAEA0
武田騎馬隊も普通の大名より3%多いだけで、戦術レベルじゃ役に立ってない
これ豆な

21 : オウム真理教信者(埼玉県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:50:21.29 ID:YKceDmyY0
>>17
多いかどうかじゃなくて強かったからじゃないの?

26 : げつようび(山形県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:55:35.44 ID:KUkGOAEA0
>>21
戦局が有利になってから投入して強いって思わせてたらしい

30 : 文筆家(沖縄県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:00:19.10 ID:PJK2aSTY0
>>26
敗走気味の相手には一番有効かもな

22 : グラウンドキーパー(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 01:50:58.12 ID:Vh6+sXtN0
源平合戦とか騎兵中心だろ
応仁の乱以降は足軽メインだけど

24 : パイロット(静岡県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:51:33.93 ID:lmCDah/A0
隣国攻めるのに高確率で山越えなきゃならんのに
騎兵で行軍は無理があるんじゃね

25 : 評論家(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 01:54:46.79 ID:FU+xDFNs0
モンゴルと戦ってる絵の武士も騎兵だよな

32 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:04:57.82 ID:o6UvagjJ0
>>25
騎兵っつーか騎馬武者の一騎がけだべ。確か数人の徒歩がお供についてる。
騎兵というからには騎馬武者だけで編成されてないとな。

28 : はり師(愛知県) 投稿日:2010/08/19(木) 01:59:49.43 ID:nircBSO/0
そもそもどれだけ平地戦があったんだろう。

31 : 落語家(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:01:57.42 ID:ymxga6T7O
移動距離短い&戦場が狭い&ボコボコした地形が多くて欧米ほど馬術は発達しなかったとか聞いたな


33 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:08:43.40 ID:bIqnhK4e0


 遊 牧 民 が 居 な か っ た か ら 



ヨーロッパでは歩兵が遊牧民にボコられるたびに
騎兵の重要性が増して行ってる

34 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:09:12.68 ID:7OSJ1+sEP
今も士官学校の教科書に乗ってるらしい
ハンニバルもイベリアやガリアやヌミディアの騎兵をつかって両翼包囲で
当時無双だったローマ軍をイタリアでボコッてるけど、イタリアも平地よりも山地が多いよね


40 : 税理士(岡山県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:15:48.87 ID:96KetO9Z0
>>34
日本よりマシとは言えヨーロッパのショボい騎士じゃあ
圧倒的な平原を支配してきたモンゴルの大騎馬軍団の前になすすべも無かったろ

42 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:18:35.82 ID:W/kyOFLV0
>>40
追っても逃げられ、諦めたら矢を撃たれ、そりゃ酷いものだったらしい
そもそも、ローマ以来の伝統で騎兵は迂回戦術と追撃・偵察が主で
重装騎兵がチャージするなんてほとんど無かったそうな

45 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:19:39.03 ID:o6UvagjJ0
>>40
実際フンにもモンゴルにも蹴散らされてるしね。運よく指導者死んで完全制圧回避とかしてるけど。

48 : 演出家(dion軍) 投稿日:2010/08/19(木) 02:23:18.65 ID:lswO8Yj+P
>>45
フンはカタラウヌムの戦いで勝ったろ
腐ってもローマだ

35 : ゴーストライター(静岡県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:10:42.83 ID:Q5YpQL8e0
馬に対してのイメージが変わったのは明治維新以降から
それ以前は馬を躾けるなんて考え自体がなかったからな

39 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:14:58.12 ID:W/kyOFLV0
>>35
平安~鎌倉の高級武士は、弓騎兵だぞ。
数は少ないからパルティアみたいな戦術は出来んが

36 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:12:01.25 ID:W/kyOFLV0
そもそも、騎兵を使う民族があるんじゃなくて、騎馬民族が騎兵になったんだし
稲作での定住が一般化して、遊牧民の外敵の侵入もなく、騎兵が生まれるはずもない

43 : 演出家(dion軍) 投稿日:2010/08/19(木) 02:18:50.47 ID:lswO8Yj+P
馬の品種の問題
日本の原産の馬はロバ並みに小さく、体力もなく、そのくせ気性が荒いが日本には去勢するという技術がなく運用が非常に大変だった

47 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:21:51.99 ID:bIqnhK4e0
>>43
それモンゴルとかも同じ品種じゃなかったっけ?

52 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:31:30.38 ID:7OSJ1+sEP
そういや弩も流行らなかったよな。なんでだろ

54 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:33:42.91 ID:o6UvagjJ0
>>52
流行る前に鉄砲がきたからってはなしがあったなぁ。

かんけいないけど、友人との間に、竜騎兵の解釈について致命的な違いがあったの思い出した。

57 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:35:07.01 ID:W/kyOFLV0
>>52
どっちも高価なんだよ。弓や矢も高級兵器
使うあても無いのに、重戦車(弩)と戦闘機(馬)を常備なんて出来ない
しかもどれも熟練者が居る。誰でも使える簡単兵器=マスケットになるわな

59 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:36:27.96 ID:bIqnhK4e0
>>57
値段なら銃>>>>>>>>弩>>>>>>弓だろw

63 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:41:27.34 ID:W/kyOFLV0
>>59
そうでもない
矢は作るのに非常に多くの人手を必要としたし
弓自体も数種の素材を組み合わせた職人技
銃はぶっちゃけ、鉄の棒を台座に固定しただけで、さらに誰でも使える

160 : 芸人(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 07:08:26.80 ID:i8mAha4t0
>>63
鉄砲役を負担させられる領主はその分所領に対する兵士の負担人数が少ない
弓兵に特別措置は全く見られない、どういう意味か解るよな?

53 : 理学療法士(新潟・東北) 投稿日:2010/08/19(木) 02:32:34.77 ID:7iUg3j7yO
日本は源平以前から岩手とかに放牧場作って半分野良で馬を生産してたんだけど、
合戦のたびに体格の良い馬を選抜して持っていっちゃうからどんどん馬格が小さくなっていった
アラブとは対称的な歴史

56 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:35:00.64 ID:bIqnhK4e0
 アドリアノープルの軍事的重要性は疑いようもない。これは歩兵に対する騎兵の勝利であった。
帝国軍は障害物で周囲を固めたゴート族の陣地に対し攻撃を展開、両軍は激しく戦っていたが、
そこで徴発のため陣地を離れていたゴート騎兵主力が、戦闘の知らせを受けて戦場へとまっしぐらに駆け戻り、
突如、ローマ軍の左側面へと突撃したのである。ウァレンス麾下の側面防御に当たっていた二部隊は、
迫り来る大軍を前に逃走し、騎馬に追われて踏みにじられることになった。
そしてローマ軍左翼の歩兵をなぎ倒したゴート族は、これを包み込み中央部へ向けて駆り立てていった。
その破壊力は凄まじく、レギオンとその下にある大隊は、絶望的な混乱へと追い込まれていった。
踏みとどまろうとするあらゆる試みは失敗に終わり、わずかな間に、左翼、中央、予備隊はひとかたまりの群衆に成り下がった。
皇帝の親衛隊、軽装兵、槍騎兵、同盟軍(foederati)、および歩兵戦列は刻一刻と強まる圧迫の中で一カ所に押し込まれていった。
ローマ騎兵は勝機が失われたのを見て、何もせずに逃げ去っていった。あたかもかつてカンナエで繰り広げられた光景や、
後にローゼベーケ(1382)で繰り広げられる光景のようであった。兵士達は過度の密集状態に押し込まれたため、
打撃を繰り出すために武器を持ち上げることさえできなかった。多くの槍が折れた上に、槍を垂直に構えることもできず、
無数の戦士達が圧力の中で窒息した。ゴート族はこの苦悶する群衆に騎馬で乗り込み、
槍や剣を絶体絶命の敵に向けて振るった。ローマ軍の3分の2以上が倒れ、
隊列がまばらになったことでわずか数千が脱出することに成功、まっしぐらに逃走していた右翼と騎兵の後に続いていった。

58 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:35:22.88 ID:bIqnhK4e0
 アドリアノープルの勝利は、重騎兵の収めた最初の大勝利であり、
重騎兵はローマ歩兵に替わって戦争の支配者となる力を見せつけるに至った。
最初のゲルマン人であるゴート族は、南ロシアの草原に居住する間に、騎馬民族国家となっていた。
ウクライナに居住する間、彼らは、スキタイ人の時代からタタール人、コサックの時代に至るまで、
絶えず騎馬軍を育み続けた、その大地の影響を受けることになった。
彼らは「徒歩よりも騎乗して戦うことを誉れとする」ようになり、全ての首長は騎馬の戦闘部隊を従えていた。
帝国との闘争を余儀なくされたとき、彼らは、長らく世界を畏怖させてきた軍隊と対面することになった。
そして衝撃が走る。彼ら自身にも驚きであったろうが、ゴート族の強い槍と良い馬はレギオンの密集隊列を突き破ったのである。
彼らは中世の騎士の直系の祖先となり、千年に渡って続く騎馬戦士優位の時代を切り開いたのである。

60 : ノブ姉(兵庫県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:37:48.17 ID:njESoDfZ0
そーいえば中国には騎兵はあったの?

64 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:42:04.59 ID:bIqnhK4e0
>>60
今もあります
中国 騎兵

65 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:42:24.47 ID:o6UvagjJ0
>>60
むかしからいっぱいいる。
>>61
弩の弦ははんぱなくきついので腕の力だけで引っ張るとすごく大変だから。足も使って全身の力で引きましょう。

61 : げつようび(山形県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:38:05.77 ID:KUkGOAEA0
そういえば何で映画始皇帝だと弩を足で引いてたんだろ
弩うして?

66 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:42:54.49 ID:W/kyOFLV0
>>61
弦が重すぎて手では引けないから。テコの原理で引く弩もあるけど

70 : 鳶職(ネブラスカ州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:46:31.90 ID:4tCiL2wmO
馬の調教は難しくて貴重だったのと、日本の戦国時代は既に鉄砲が出回ってたから、そんな有効じゃなかったんだろ

76 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:51:55.34 ID:bIqnhK4e0
>>70
>馬の調教は難しくて貴重だった

これは欧州だろうが中央アジアだろうが中国だろうが一緒だろ


>日本の戦国時代は既に鉄砲が出回ってたから

鉄砲が花形になったのは戦国時代の中盤以降だし
別に戦国時代以外にも戦争時代はちょくちょくあった
欧州や中国では紀元前から騎兵部隊居たし

71 : ジャーナリスト(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 02:46:32.19 ID:Mjd69MNp0
そんなに大量に馬を養う力も、また必要も感じなかったんじゃないの
中国なら陸続きで馬を手に入れられたけど日本じゃそうもいかないし

74 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:47:47.22 ID:bIqnhK4e0
盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242040799/

75 : L96A1(福島県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:50:00.84 ID:/jNnWebC0
竜騎兵って何が竜なの
っていうかなんで竜なの

80 : 石工(石川県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:59:44.88 ID:o6UvagjJ0
>>75
騎兵が鉄砲もってるからその名がついた。
鉄砲の銃撃を、竜が火を吹くのに重ねてドラグーンと呼んだ。
日本に来たときにまんま訳されて竜騎兵になった。
しかし日本には鉄砲から竜を連想する人は少ないので、竜騎兵とかいわれると竜に乗った騎兵を想像してしまい、
鉄砲持った騎兵にいくことはほとんどなかった。

らしいよ。

77 : ノブ姉(兵庫県) 投稿日:2010/08/19(木) 02:53:20.71 ID:njESoDfZ0
去勢する技術が無かったからって2ちゃんで見た。
騎兵は基本的に去勢馬なんだって

79 : 落語家(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 02:59:18.77 ID:ymxga6T7O
ああそういえば去勢しないとメス馬に群がるからだめだったな
まあ馬自体あんまり重要じゃなかったんじゃないか


85 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:08:30.84 ID:bIqnhK4e0
>>79
どっかの戦国武将で雌馬の大群を解き放って
敵の騎兵を混乱させて勝ったみたいな話があったなw

86 : ノブ姉(兵庫県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:09:29.67 ID:njESoDfZ0
>>85
俺の近所の話だった気がする。
羽柴秀吉(秀長?)軍フルボッコにしたとか、してないとか

82 : 火狐厨(愛知県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:01:28.40 ID:8fRDKeLS0
馬車が無かったのと同じ理由なんかな
でも牛車はある不思議

83 : 映画監督(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:06:41.31 ID:5A17R51pO
日本に盾がなかったとかいうやつは大袖も知らないのかよ

90 : 海上保安官(東海) 投稿日:2010/08/19(木) 03:12:22.00 ID:pdqPPQwTO
>>83
あれ自体が凄く頑丈だから盾を持つ必要なかったんだっけ?

92 : 映画監督(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:16:52.30 ID:5A17R51pO
>>90
小札っていう金属片組み合わせてスケイルメイル状になってるから刀で斬りつけられても大丈夫らしい

84 : 検察官(ネブラスカ州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:07:28.65 ID:2MNXhIE3O
ていうか旧帝国陸軍には騎兵科があっただろ。秋山真之の兄で秋山好古陸軍大将が発展させたんだよな。日露戦争の時は世界最強のコサック騎兵を破り日本の勝利に貢献した。軍歌「日本陸軍」にも騎兵は歌われている。これ常識。

166 : フランキ・スパス15(山梨県) 投稿日:2010/08/19(木) 08:09:18.62 ID:dqEyPg7W0
>>84
でもついにコサックに対し馬上で剣と剣で切り結ぶような戦闘は出来なかった。
そんな事をしたら体格、技量で劣るコサックに負ける事は秋山は分かっていた。

歩兵砲と当時ではまだ珍しい機関銃を装備していた為、戦闘を行う時は下馬し壕を
掘り砲列をしいてコサックを迎え撃った。


88 : 臨床検査技師(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:10:41.03 ID:JH5rH/aHO
坂の上の雲を読み終えた奴が最初に抱く感想は
「コサックに勝ってないじゃん…」

89 : 騎手(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 03:12:03.24 ID:W/kyOFLV0
>>88
機関銃が凄いって話だからなw

95 : ロリコン(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 03:22:52.02 ID:92ZxRtmp0
騎馬の横並び突撃とか言ってる奴は、兵法を何にも知らねー奴の戯言だ

って昔の兵法書に書いてあるらしいな

104 : 海上保安官(東海) 投稿日:2010/08/19(木) 03:28:57.34 ID:pdqPPQwTO
ワーテルローの映画でフランス軍の騎兵突撃と迎え撃つ英軍の方陣をまんま再現したのには恐れ入った。

107 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:34:02.09 ID:7OSJ1+sEP
>>104
ワーテルローは胸圧だよな。ジャップ共なら失禁して敗走するレベル

http://www.youtube.com/watch?v=3Hom1ZWBGF8&feature=related

109 : 臨床開発(静岡県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:34:46.00 ID:gaxTcdD+0
良い馬がいなかったからです。
戦国時代からずっと武将がまたがる馬はポニーみたいな小型種でした。
立派な馬が走り回る黒澤映画もNHKの大河ドラマも嘘ばっかりです。

112 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 03:41:29.15 ID:bIqnhK4e0
>>109
>鈴木眞哉の歴史観について
>最近鈴木眞哉氏の歴史説が浸透していますが自分はその内容に納得がいかないことがあります

>騎馬隊は集団で訓練したことはなく馬もポニー程度の大きさで蹄鉄もなく寄せ集めだったので
>欧州騎兵のような密集突撃はできなかったというのが根拠の概略です

>しかし
>ポニーを牧場にいるようなシェトランドポニー[平均105㎝]ウェリッシュポニー[120㎝前後]のみだと誤解しています

>おそらく鈴木氏や彼の賛同者はサラブレット[平均165㎝]が馬の標準だと勘違いしています
>生物としての馬の平均は140㎝前後であり取り分け日本馬[平均135㎝]が小さい訳ではないのです
>[近代騎兵で使われるアラブ馬も145㎝ほどが平均です]

>蹄鉄も日本のような湿潤で国土のどこにも乾いた砂礫の土地や石畳の道路がない土地では無くても充分利用に耐えれます
>さらに馬用の草履が存在し戦闘前まで履いていたのですからなおさらです

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422611719


だってさ

120 : 鵜飼い(広島県) 投稿日:2010/08/19(木) 04:00:30.46 ID:j+a7Hs1e0
幕末の外国人によると、馬子は馬と並走するのが基本だったらしいが
かなーり健脚だった模様

123 : シャブ中(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 04:06:25.67 ID:fo9jAiJp0
たしか江戸時代は馬は
侍しか乗れなかったんだっけか
それ以外の身分は馬引いて歩くことしかできなかったとか聞いたことあるな。
生類憐みの令で調教のノウハウすら失われて
徳川慶喜の下に集まった侍たちは落馬で怪我した連中ばかりだったとも言われてる。

武田の騎馬軍団も実際は三十騎もいなかったって話もあるし。


126 : 理容師(岩手県) 投稿日:2010/08/19(木) 04:11:11.48 ID:B8WtaUW80
流鏑馬隊

132 : 警察官(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 06:10:45.10 ID:7OSJ1+sEP
>>126
流鏑馬って軍事というかお祭りみたいなもんじゃん
実際駆足でまっすぐ進みながら数メートル先の動かない的を射るだけだしww

145 : ペスト・コントロール・オペレーター(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 06:29:01.04 ID:OO1lrX2s0
そういえば飛脚って部分的にでも馬使わなかったの?

146 : ペスト・コントロール・オペレーター(大阪府) 投稿日:2010/08/19(木) 06:30:37.51 ID:OO1lrX2s0
弩といえば連弩って本当にあったのかよ
あったとして本当に使えたのか疑問なんだが
あの武器うそくせー

150 : まりもっこり(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 06:35:47.77 ID:cOigMjnF0
石弓は極悪、長弓は訓練が要るものの、もっと極悪

151 : 社員(アラバマ州) 投稿日:2010/08/19(木) 06:46:37.11 ID:dUyuQxKi0
馬乗って戦うとかむしろ不利だろ。
槍兵部隊に突き殺されろよ。

155 : セラピスト(愛知県) 投稿日:2010/08/19(木) 06:58:07.82 ID:lqjgjLGp0
毒矢が流行らなかったのはなんで?>日本
武士道精神なの?

156 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 07:02:19.29 ID:bIqnhK4e0
>>155
万単位の兵士が矢に塗る毒とか確保するの大変だろ

ちなみにモンゴル軍が毒矢使ったって記述は日本にしかなくて
単に一部の朝鮮人しか使わない武器だったんじゃないかって話を世界史板で聞いた

159 : 整体師(愛知県) 投稿日:2010/08/19(木) 07:06:07.91 ID:bPnmPJSr0
>>155
体から引き抜こうとすると外れる矢尻に糞尿を塗り付けてたとか聞いた事ある


158 : カウンセラー(九州) 投稿日:2010/08/19(木) 07:04:52.32 ID:QOFjaOt1O
弓矢自体の威力が上がれば毒なんて塗るより速射した方が強いから
毒矢が流行らないんじゃなくて廃れただけ、アイヌはずっと毒矢使ってたみたいだし

163 : 客室乗務員(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 07:51:06.33 ID:ipP6WIvx0
アホな事を考えたんだが・・
ニンジンとか馬の餌に毒を混ぜて戦場にばらまけば、
馬が暴走したり、勝手にニンジン食って毒で死んだり期待できねーか?
世界史上でこんなアホな事を試した奴はいないのだろうか?

167 : ネトゲ厨(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 08:10:32.40 ID:+kZNzoER0
>>163
やってると思うけど、そういうのに釣られるようなアホな馬は
多分戦場に連れてってもらえない

168 : ニュースキャスター(岡山県) 投稿日:2010/08/19(木) 08:23:17.69 ID:ei9wtazI0
やっぱり、山が多いからじゃねーの?
少ない平野、盆地には町が作られちゃうし
運用が難しそう。
古代の道路は凄く広くて、おまけに直線的だったらしいから
移動には重宝しただろうけど。

170 : 美容師(福岡県) 投稿日:2010/08/19(木) 08:27:27.83 ID:LGTBGYGX0
江戸時代の街道は狭いよ。

175 : 海上保安官(広島県) 投稿日:2010/08/19(木) 09:10:20.51 ID:1ImU/g3N0
昔の絵画を見ると今とさほど変わらない馬が描かれてるんだけどなー

179 : サウンドクリエーター(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 09:31:56.32 ID:OPkpXg7s0
馬上侍の動員は、反数できまる。
20反20石で、一騎一人の割合。

鎌倉期から戦国にかけての関東では、これが軍制の基準。
鎌倉期の関東は200万石で200万人。単純計算だと10万騎の馬上侍。
しかし実数は、公田と寺社領分を除くと半数以下の5万騎未満と考えられる。
それに従者が一人付く。

184 : サウンドクリエーター(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 09:52:28.06 ID:OPkpXg7s0
尾張、加賀より西の西国では、200反で200石で一騎10人の割合。
大和朝廷から戦国期もこの割合。

西国200万人で200万石だとすると、1万騎の騎兵と10万人の歩兵となる。
これに従者と輜重隊20万が付く。総勢1万騎と30万の動員。
関東は4万騎に従者が4万人、荷駄と小者が10万人。総勢は18万ほど。

蒙古軍は基本4500人で1000戸が軍制基準。
内、三分一が蒙古騎兵で1500騎。バトゥはゲルマンに2万戸で攻め込んだので、
戦闘員の実数が、3万騎に輜重が1万。20万の欧州連合軍を各個囲み馬上からの
短弓三段構えの騎射で崩壊させ勝利に導いた。

181 : 中学生(ネブラスカ州) 投稿日:2010/08/19(木) 09:48:39.78 ID:ijhEEsm/O
天平~奈良時代初期には軍制改革をやって軍団を整備したので
後世の武士みたいな兼業騎兵じゃない専業騎兵もいた

だんだん金も人も無くなって軍団制が維持出来なくなったのと、国内の主戦線である東北戦線が
北に押し上げられたので、中央から軍団派遣するより、関東在地の豪族から徴発した方が
距離的にも練度的にも費用的にも有効だという事で純粋な兵科としての騎兵は廃れた

186 : 社会のゴミ(富山県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:01:15.22 ID:dVUHqbzi0
日本在来馬はそんなに大きくなくて走る速度もそんなに速くない、
って読んだことがある。「時代考証」にうるさく拘る側は
「武将があの時代にサラブレッドに跨ってるのはおかしい」とクレームいれろ

193 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:13:40.28 ID:bIqnhK4e0
>>186
857 :人間七七四年:2010/05/21(金) 20:47:35 ID:4AvSrDqd
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

ttp://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Reviw/Review.html


らしいよ

194 : スクリプト荒らし(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 10:16:57.13 ID:LGrMgQwF0

一応騎馬突撃部隊は武田軍に規模はともかくあったっぽい

信長公記に馬防柵を作れって指示があったことと
家康が家臣に
柵等よく念を入れて構築するように。武田は馬一筋に突入してくるぞ
って手紙を書いてること
付随して家康軍は紛らわしいから馬に乗るな厳命されて本多忠勝が文句言ってる




196 : サウンドクリエーター(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:41:07.16 ID:OPkpXg7s0
中国からの史書や兵法書から、運用自体は知っていただろう。
確かに実際に朝廷、西国で騎兵隊としての運用は日本の史料に
断片でも残っていないので運用は疑問ですね。
対蝦夷でもそういった騎兵隊や騎馬のような記録は全くない。
伝承や物語でも残っていない。

ただ朝鮮への外征で騎兵は運用したのではなかろうか?
おそらく当時は海戦主体であるし、一万騎はおろか一千騎さえ
用意できたが謎であるが。少なくとも用意はしたのでなかろうか。
急激に騎馬運用をしようと想い東国に牧場を作ったが、侍が発生した
ため軍団編成での騎兵運用はおそらく行われなかったろう。

朝廷、西国での兵科では戦国期に至っても、侍でさえほとんど集団運用はしていないと
考えられますね。

197 : 空き管(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:44:58.48 ID:DKuAlicO0
そもそも騎兵って単独で戦って強いものなの?
低く構えて柄の長い戟とか戈のような武器で馬の脚を払われたらアウトじゃね?

198 : タンドリーチキン(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:49:39.01 ID:bIqnhK4e0
>>197
全身装甲つけた騎兵が集団で攻めてきたら
それだけで半農半兵の下っ端兵士はビビって逃げ出すんじゃね

元寇で数十騎の鎌倉武士に数百人のモンゴル兵が蹴散らされたって記述もあるし

199 : 空き管(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 10:55:58.59 ID:DKuAlicO0
>>198
その元寇の話はあれじゃね?
日本に来た兵は大半が朝鮮人だから、モンゴリアンに蹂躙されたトラウマで逃げたとか

201 : サウンドクリエーター(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 11:05:57.41 ID:OPkpXg7s0
>>199
文永の役では、蒙古が主体。
おそらく蒙古は2万戸を基準にしているので、史料にもあるが4万の兵力と
伝わってます。これで威力偵察と略奪侵攻をしてきたと考えられます。

一騎一人の鎌倉武士の馬上侍に切り込まれたら、そりゃ蒙古の包囲戦術でも
さすがに切り崩されます。何せ個人で左右に動きまくった挙句伏兵もしますから。
侍は6歳から武術や馬術を習うんですよ。

蒙古人は羊飼いを覚えた後の11歳ぐらいから
騎馬と戦術を学びます。鎧と装備の差も日本の方が歴然と上ですが
経験の差も日本の武士の方が圧倒的ですよ。

200 : チンカス(東日本) 投稿日:2010/08/19(木) 10:58:23.13 ID:qyNfPaIU0
明治政府が馬の品種改良に躍起になってた所をみるに、
馬の質があまり良くなかったのではないか

209 : 僧侶(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 11:23:37.11 ID:2pxUcpvR0
>>200
騎乗突撃用の軍馬ってのがそもそも存在してなかったからね

203 : ペスト・コントロール・オペレーター(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 11:07:54.49 ID:1W+PUjch0
牧畜文化が事実上なかったことと
兵科が分かれる前の戦士の姿を
銃器の登場まで保ち続けたことが原因

騎兵であり重装歩兵でもあり弓兵でもあり…
特化していないハンディをたゆまぬ訓練で補った
それが武士の特殊性といえる

211 : 洋菓子製造技能士(関西・北陸) 投稿日:2010/08/19(木) 11:24:09.25 ID:NwwwAOpjO
攻城城が多かったからね
攻城戦と野戦両方想定しないといけない場面が多かったから

212 : 中国人(茨城県) 投稿日:2010/08/19(木) 11:24:11.42 ID:0IOlWVBr0
 日本と同じ山岳スイスでは、数で上回る騎兵を主体とする神聖ローマ帝国軍を農民主体の
スイスパイク兵が三度に渡って斥け、独立を果たしている。
 やはり、山岳地帯では騎兵の出番が無い。
 

214 : スクリプト荒らし(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 11:28:48.49 ID:LGrMgQwF0
やっぱ大陸のがいかに効率よく殺すかの手練手管を真剣に考えてて面白いなぁ
日本の関が原で死者が500人くらいだったんでしょ?

疫病持ちの死体を投石機で敵城に投げ込むとか
水鳥にオガクズまとわせて敵城の上空付近になったら火矢で打ち落として
火災起こすとか発想が面白いもん。


217 : 演出家(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 11:38:38.75 ID:7gJ8VfODP
騎兵はいたじゃん。
鵯越(ひよどりごえ)は兵が山を走って降りたってのか?


220 : 僧侶(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 11:43:10.13 ID:2pxUcpvR0
>>217
お前は大江山に鬼が住んでたとでも思っているのか

223 : 演出家(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 11:46:33.50 ID:7gJ8VfODP
>>220
じゃあ義経が鵯越から攻撃したのは徒歩で、後世にそれが馬で降りた
と脚色されたわけか

225 : 僧侶(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 11:48:45.01 ID:2pxUcpvR0
>>223
後世に というか、近代までの日本の「記録文」においては客観性や事実性はほとんど重要視されていなかった。

228 : 郵便配達員(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 11:54:59.56 ID:ijhEEsm/O
>>223
本当は逆落とししてない
山伝いに後方に回って、正面の本隊と挟撃している
一の谷の奇襲効果の最大の要因は義経ではなく、平家と後白川の間で和睦交渉が妥結直前まで進んでいたため
平家側が警戒を解いていた所に、交渉無視で源氏軍が攻撃を掛けた事による

227 : ペスト・コントロール・オペレーター(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 11:53:13.76 ID:1W+PUjch0
騎兵がいたかどうかでなく
騎兵部隊という運用があったかどうかでねーのか
馬に乗ってたというだけならなんぼでもいるわな

229 : 路面標示施工技能士(コネチカット州) 投稿日:2010/08/19(木) 11:56:10.91 ID:+Hwfzuv2O
そりゃ大和民族が騎馬民族じゃないからに決まってるだろ?
騎馬民族が何なのかはよく知らんがw

234 : タピオカ(愛媛県) 投稿日:2010/08/19(木) 12:13:51.22 ID:rIMC2LRR0
>>229
騎馬民族=遊牧民
牧畜を営み定住地を持たず馬は移動手段だった、そう言う生活をしていたから戦いで馬を用いるのは自然な流れで
これが数では圧倒的に勝る農耕民族の軍隊にめっぽう強かったから次第に農耕民族も騎兵を取り入れて行った

238 : ペスト・コントロール・オペレーター(catv?) 投稿日:2010/08/19(木) 12:28:08.15 ID:1W+PUjch0
>>234
遊牧民と遊牧騎馬民はイコールではないんでないかい
サーミとかコリヤークとか徒歩の遊牧民もいるすよ

230 : 演出家(福島県) 投稿日:2010/08/19(木) 11:57:51.16 ID:1fBieZJ4P
とうほぐの騎馬武者祭りだよー
http://www.youtube.com/watch?v=lAixvFeiXac&feature=fvw

236 : 漫画原作者(熊本県) 投稿日:2010/08/19(木) 12:21:40.24 ID:S5c7zuGT0
奇襲で敵の小隊を全滅させるのに適しているが、
仮に最初の攻撃で全滅させれなかったらもう後はぼっこぼこにやられる。
そんなイメージ。FEのペガサスナイト的な

237 : 火狐厨(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 12:25:13.72 ID:xUlWCvsu0
>>236
基本的には、その機動力を生かして
包囲するか、突撃時の切り込み役となるか
の使い方が正解

包囲するタイミングをミスって各個撃破されたり
突撃時の衝撃を凌がれたらお終いの素人にはオススメできない兵科

241 : 獣医師(北海道) 投稿日:2010/08/19(木) 12:54:52.25 ID:mbcu3CMG0
侍は基本一対一って暗黙のルールがあったんじゃ無いの

245 : スクリプト荒らし(奈良県) 投稿日:2010/08/19(木) 13:08:42.33 ID:lGuT4MMR0
>>241
元寇のときとか相手が何でもありだと解ると
鎌倉武士も夜討ち朝駆けなんでもありになったみたい

まあサッカーの試合とかでも徐々に荒れてイエローカード飛び交う試合になるなんて事もあるし
命掛かってるんだから相手が礼儀無視するなら正々堂々とか言ってられないんだろうなw

247 : 空き管(神奈川県) 投稿日:2010/08/19(木) 13:25:42.50 ID:DKuAlicO0
>>245
それ以前の日本国内の戦だと、敵を倒した後に統治する事を考えると、
尊敬される勝ち方をしなきゃいけなかったんだろうけどな。
戦に勝ったからって豪族とかを皆殺しにしたりしてた訳じゃないから、
卑怯な戦い方で勝っても誰も従ってくれず、逆に一騎討ちとかパフォーマンスじみたことを
やってのける奴は尊敬されて統治もうまくいったんだろう。
モンゴリアンは戦に勝ったら男は皆殺し、女は奴隷だからそんな日本の常識は通用しなかったと。

248 : げつようび(新潟県) 投稿日:2010/08/19(木) 13:26:05.62 ID:69zDwjoC0
>>245
それ以前でも義経なんかはエグい戦術大好きだっただろ。

日本人って昔から「空気読め」だから、ルールでガチガチになったかと思えば、
いったん「じゃあルール無しな」で崩れると際限なく崩れる。

243 : ファイナンシャル・プランナー(千葉県) 投稿日:2010/08/19(木) 13:05:33.04 ID:eC1hD+jO0
一時期日本の馬はポニーだからどうのって言われてたけど、モンゴルの馬もポニー種ですから。

244 : 僧侶(東京都) 投稿日:2010/08/19(木) 13:07:27.57 ID:2pxUcpvR0
>>243
Equus ferus przewalskiiは独立した野生種じゃないの
それともモンゴル人の騎乗馬はEquus ferus przewalskiiとは別の馬なのかな

253 : 発明家(ネブラスカ州) 投稿日:2010/08/19(木) 13:56:02.37 ID:8U9vtL2RO
ハンニバルみたいな包囲殲滅を目的とした
騎兵隊としての運用はしてないけど
騎兵の突撃力を生かした
騎兵の戦闘での運用は武田辺りはしてただろうよ

255 : 金持ち(関西・北陸) 投稿日:2010/08/19(木) 14:32:44.74 ID:UBAqIAmuO
鎌倉までは騎馬同士の一対一の小規模の戦闘だから必要なかった。
手柄たてて恩賞もらう事が目的だから義経みたいな
ただ勝てばいいみたいな戦争は嫌われ支持されない。
誰が誰を打ち取ったってのが分からなければ恩賞貰えないし。
戦国に入ると騎兵の優越性が注目されたけど
直ぐに鉄砲足軽にとって変わられたから。
鉄砲持った騎兵隊の誕生には火縄銃からの脱却が必要だったが
戦争も無くなり鎖国で発達しようも無くなった。



元スレ 日本で騎兵という独立した兵種が生まれなかったのはどうして何故なの? http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news/1282148878/
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